交差点の赤信号に自転車の荷台からストンと降りたおばあさん、何気ないその一瞬の動作が目に留まった。やがて青になった信号に、スカート姿のおばあさんは再び荷台にスッと横座りの形で乗ると、おじいさんの運転する自転車はふらつくことなくスムーズにスタート。乗り馴れているのだろう、いとも簡単に走り去って行った。ほんの僅かな時間の中、二人の一連の動作があまりに微笑ましく、ふと人の暖かさを感じた一瞬、何とも言えない得した気分になった。どこにでもありそうな光景なのだが、まるで映画のワンシーンでも見ているかのような心地好さを感じたのは、二人の年齢のせいかもしれない。どんなに贔屓目に見ても優に七十代半ばは過ぎているだろう二人の表情、しぐさがとても自然で、印象的だったのだ。そうそう、もう随分以前になるが、洗剤のコマーシャルの中で老夫婦が手を繋いで…記憶にある人もいるのではないかと思うが、あの微笑ましい姿を思い出して貰えれば、理解してもらえるのでは。
人の動作に微笑ましさを感じる…この「微笑ましい」と言う感覚は決して特別なものではなく、誰もが違和感なくその意味を受け止めるだろうホットな感覚なのだが、どうも近頃は忘れていたような気がする。日々起こる様々な事件や自然災害等々生きにくい現代社会の中で、私達は当然のごとくわが身や、身近にいる人達を守る事を第一に考え行動している。時にはそれがいわゆる自己中であったとしても、それは仕方がないと言う、当然と言う感覚になりつつあるように思える。
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見方を変えれば善悪も逆転する。日々の暮らしの中での判断は、まず自分の価値観でも異なる。そして、どちらかと言えば近年は肯定する事が少なくなり、納得ゆかず批判的になる事が常になってきたように思える。しかし何が正しいのか…多くの主義主張の中で結論を出すのは難しい。まずひと呼吸、自己主張の前に、一度相手の立場や広い視野の下に立って考える余裕の必要性も問われている。
微笑ましく見えた二人、自転車の二人乗りは当然禁止事項、してはならない行為であることは百も承知。微笑ましいなんて間違っていると非難されても当然なのだが、それを認識した上で、こんな時代だからこそ、あえて心に響いた思いを素直に受け止められる感性が残されていた事に気付かせてもらえた。素直な心こそ我々民族の文化でもあったのだと改めて考えさせられた一コマだった。
素直と云えばいけばなに向かう際のいけ手の心構えだが、日本人はマニュアルには強いと云われるため、基本花型を教えると比較的安易に修得、忠実にいけてくれる。しかし、花が生きて見えない、伸びやかさに欠ける。ひどい時にはバラバラに。端的には枝が裏を向いていてたり、花が下を向いている、或いは枝同士がぶつかりあっていても知らん顔…そんな悲しい状況を見せつけられる事が。本人はいたって真面目に、一生懸命花に向かっているのは云うまでもないのだが、ひと呼吸おいて見るさらなる冷静さが求められているのではと反省させられる。
華道専慶流 西阪慶眞
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