専慶流 ●2014年3月1日発行/専慶流いけばな真樹会主宰・西阪慶眞
いけばな専慶流/啓翁桜
●花材/ ボケ、松、ラッパ水仙
●花器/ 黒釉現代花器(大津寄花堂作)

●ボケは強い植物で太陽の陽射しが届けば荒れた土地でも育ち、関西では3月中旬頃から開花。茎には鋭い針があるが、近年は針無し種もあり、扱いやすくなっています。
繁殖には挿し木がよく、鹿沼土に挿して根が出て来たら路地に定植します。
背丈は2メートル以上にもなるが、伸びた枝はこまめに切り戻し、背丈程度に管理すると花付きも良く、木姿もしまり、切り花に使用しても最高の表情を捉える事が出来ます。

ポイント 
 花器の形状から、底に剣山を、口辺部に又木を仕込み、深く傾斜させるボケを安定よく固定させています。中央と前には松を配し、ボケの力強さを松の緑で引締めます。ラッパ水仙は前後をつけ、さらに、長短にリズムを持たせて数を配します。

●花材/ ボケ
●花器/ 竹二管花器

ポイント 
●自宅栽培のボケで、少し太めの茎を使って、力強くいけています。

水揚げ 水切り。

いけばな専慶流

 いけばな専慶流 シャクナゲの蕾

感動の発信

 「古き良き時代、昔は良かった…」と、語れるのはある程
度の年齢を積み重ねてきた人達の特権であろう。必然的に
現代と比べる過去を生きて来たからこそ使える表現なのだ。
そう考えると「今時の若者は!」と批判的に用いられるこ
の言葉の使い方には、少し問題がある。何故なら、この現
代社会に生まれ育った彼らに「今時の…」と批判するのは
お門違いではないか。何かにつけ、その年でそれ位当たり
前?常識だろ?…的な思考はそもそも今時通用しない。感
覚の相違、価値観の違い、それ以前の問題、急激な文明の
発達により根本的に生きた時代背景が余りにも違うと言う
認識を互いに素直に理解し合わ無ければ、先達から受け継
いできた大切な文化の重みさえも計り損なう。   
 古き時代を良しとする感覚にはそれなりの理由がある。
それは、積み重ねる日々の生活の並々ならない努力と知恵
の結晶であり、感覚であった。無理強いではなく負荷を生
み出さない知恵の行使、誰もが自然と共にある生活に寄り
添う改善の繰り返しとでも言えば良いだろうか。それに対
し現代社会では、目覚ましい近代文明の発達に伴い、美し
く合理的でスピーディーなゆとりある快適生活空間?が誰
にも無造作に与えられた。自ら欲し、求めて得られた物で
はないからか、それに固執することも無くいとも簡単に次
なる変化を求める。時と共にその代償として失われてきた
ものは、物の価値ではなく、物を見る目に他ならない。

 未来への私達の大切な役割は、価値有るものを見極める
目を養う事。その為に必要な事はただ一つと言えるかも知
れない。先に立つ者が、真剣に伝える努力を怠らない事、
と同時に、受け止めようとする者が真摯な態度で向かう事、
に尽きるのでは無いだろうか。身分の上下、年齢の上下に
は関係無く、教える側と教わる側にはそれぞれに立ち位置
があって当然だろう。相手を尊敬できない関係では、何も
学ぶことも得ることもできない。敬い慕う相手の存在があっ
て初めて古き良きものを受け止め、そこからまた新たなも
のを見出せるのではないだろうか。
 丁度、このような言葉が今耳に届いた。人の心を動かす
のに 最先端の技術は使わない。人を感動させるモノは、
文明の利器ではない…現代の技術ではどんな表現も、想像
を形にすることは可能だろうが、感動させる、感受性を呼
び起こす最大の近道は自然との対話だと。
 何かで補う、何かで取り繕えば、楽をして一時しのぎの
感動は与えられるかもしれない。しかし、事実を知ってい
る自分自身にとって、それは本物ではない、完璧でも満足
のゆく結果でもない。最善を尽くした結果で感動を与えら
れなければ、与えられるまで努力を続ければ良い、それが
本物に近づくという事…磨き続ける事に終わりはない…。
葛西選手のたゆみない進化と挑戦、これでこそ、感動、共
感なのでは。

               華道専慶流 西阪慶眞



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