2004年10月1日発行/専慶流いけばな真樹会主宰・西阪慶眞

専慶流・グロリオサ

花材/枯木、アスパラ、デンファーレ、カラスウリ、グロリオサ、ゴッドセフィアーナ
花器/ブルーガラス花器


生花様式はどうしても背丈は高くなりがちですが、作例は枯れ木と洋花を配した鮮やかな小品生花。通常「天」は伸びやかな枝先のあるものを使いますが、一本の枯れ枝を力強く扱う事で洋花の色彩を一層際立たせています。

また、不透明ガラス器は煩雑な留め具が見えないので扱いやすい。しかし石などを入れるとやはり透明感を損ないますので、ゴム付き剣山などがお薦めです。

花材/キウイ、オンシジューム、
アンスリュームの葉

裏庭のキウイを切ってさりげなくいけた気取りのない作例です。稽古花などの余り物と出合いを考えるのは、日頃の家庭料理と同じ。

花器の口が小さい場合であっても口元を隠さないことがポイント。素材が一杯あるからと云って無神経に盛り込むのは最も慎むべきで「あっさり、さりげなく」がいいのです。

専慶流/キウイ



 ハンキングヘリコニア

開放感を抱かせる心のゆとり

 「まさか、はまるなんて思ってもいなかったのに、しっかりはまって…」と言う社中達の会話に「そうなんですよね、私もはまってしまいました」と傍で本を手にしていた中年女性が笑顔で会話に入ってきた。ある書籍売り場に大きく設けられた「冬のソナタ」コーナーでの出来事。見知らぬ者同志がそこでしばらくの立ち話となった。
 話題は韓国ドラマ「冬のソナタ」。初恋の彼の死、心から消すことの出来ない思いを抱え10年の時が流れ、記憶を失っている死んだはずの彼に再会、度重なる嫉妬による妨害。記憶は戻るが兄妹と知らされ決別。やがて全ての誤解が解け、初恋が成就すると言う一途な愛の物語…。別の名前、人間になっても、人の本質的なものは変わらず、愛もまた同じなのだろう。たとえ、世の中が著しく変わったとしても絶対に変わらない、生き続ける愛がある…そんな純愛を著者は描きたかったのだろう。書店で出会った彼女曰く、自分だけではなく八十五歳になる彼女の母親が、時には深夜になる放送にも関わらず毎週欠かさず楽しみに見ていると言う。内容が昔見た「君の名は」に重なり、遠い日を振り返って様々な話しをする母親の姿がとても生き生きとしていて、そんな親を見られることが、家族の心をホッさせてくれるのだとも言う。さらに、今ほど自由ではなかった若かりし頃の自分達の潜在願望とがオーバラップし、高齢者の間でも人気になっていることなどを話していた。
 今、社会現象…とまで言われる「冬ソナ」ブーム。ドラマに関わった俳優を含めスタッフ、また舞台となった場所等、関わる全てが異常とも言える程の人気に。経済効果も大きく、我が国と韓国を行き来する航空便が増便になったとか。一つのドラマが人と人を結び、文化交流する大きな力となっている。ある意味、現実にはあり得ない…そう思いながらもついついドラマに引き込まれてしまう。そこには物語の内容以上に現代人の心を捉える何かが隠されているのであろう。
 ところでこの本屋での見知らぬ人との偶然の会話は日常生活の中では当たり前のコミュニケーションだが、人にとってこんな些細な出会いもまた貴重でホットなエネルギー源となるのである。しかし「村」「島」の崩壊とともに、個性が一人歩きして個と個の繋がりが稀薄化している現在、日々のゆとりのない暮らしもあいまって、意識的、無意識に人との交わりを億劫なもの、厄介なものに変えて行ったのかも知れない。だが、同調する一瞬の出会い「時間」には、貴重な心の交わりがあり、無意識のうちに互いに心穏やかな笑みががこぼれることも多々あるもの。もう二度と出会うことは無いだろう見知らぬ人とのほんの一瞬の交わりが、相手の顔も容姿も、何も記憶に残っていないのに、その時の会話、そこで感じた言葉にならない空気など不思議に心に残っているもの。
 特別印象的な出来事ではない些細な空間、共感。偶然の出会いは、意図せぬ所で人に幅を持たせていくものではないだろうか。そう考えれば共に花の道に親しむ私達は、新鮮な植物と人の出会いに感謝し、互いにより一層の親近感と感性を高めあいたいものです。それはゆとりの証でもあるのです。 

                            専慶流いけばな真樹会主宰 西阪慶眞


慶眞のいけばな教室案内

専慶流真樹会本部/近鉄三山木駅西5分 TEL 0774-63-1785

専慶会館/京阪、近鉄桃山駅東1分 TEL 075-612-2076

 通信特別レッスン開設

花模様表紙に戻る

トップに戻る 春夏秋冬 花材別検索 通信教授 専慶流って? 取り合わせ 水揚げ 花言葉 様式 テクニック リンク 花壁紙 関西の花情報 教室案内