慶眞の花模様2002年2月1日発行/専慶流いけばな真樹会主宰・西阪慶眞


漂白キウイ作品

花材/漂白キウイ、松、ユーチャリス、赤ドラセナ、千両

ポイント お正月にいけた松は2月になっても元気で、青々している。そのまま捨てるのはもったいないので小さく切って下あしらいに生け直すとまた見違える趣が。漂白したキウイとユーチャリスの白を基調に造形美をねらっっている。赤ドラセナの葉は一枚一枚輪状にセロテープで固定してマッス的に配しています。



とくさ作品

花材/とくさ、シンビジューム、ゴッドセフィアーナ、
サンダーソニア、スイトピー

ポイント とくさ(木賊)はつくも(九十九)のように折って使うことも多いが、節の面白さ、リズム感を捉えたい。ここでは最もポピュラーな放射状構成を取り入れ、線状美を捉えています。配材は前方だけでなく、木賊の間や後にも配し、うまく溶けあわせます。シンビジュームは倒れやすいので添え木してしっかり固定しましょう。


三重県結城神社の梅(三重県・結城神社の枝垂れ梅) 

酌み取る呼吸

 最近、人間が丸くなったというのか、面倒になったというのだろうか、物事に対しほどほどに流している傾向にあることに気づいた。
 これは危険な状態です。常に前を向いて一歩でも前進するためには「ほどほど…や、妥協の連続」で実を結ぶ事を期待するのは大着な話。とくに私達のいけばなは、先生から綺麗綺麗と誉めてもらっているとついつい甘えてしまい、成長の芽をひ弱にしてしまうもの。植物の芽と同じで、一見スクスク伸びているように見える若い芽も、幹や根がしっかりしていないと貧弱なもので終わってしまったり、また折角伸びても梅やバラの徒長枝のように味のない棒状となる。自分に厳しく、妥協を許さない姿勢は私達には欠かせないことで、厳しい指摘を与えてもらえればもらうほど強く「期待」されていると受け止めるが正しいのだろう。何も云われなくなったり、指摘されることがなくなれば孤独に陥ったり独りよがりになるのがほとんど。
 本来、愛とは(俗人レベルでは)相手を見つめることであり、愛されるとは見つめられることと言える。とくに緊張の連続である入門者にとって先生からやさしく指導を受けることは心地よいことで、未知への世界がとても大きく、素晴らしい創造の世界を膨らませ、美意識を伸ばす手助けとなる。しかし基本も一応マスターし、見る目もついてきたら徐々に寒風にさらされる事も必要。どんな世界も順風満帆はあり得ないことで、荒波にさらされ、強風に叩かれてこそ、強靱な芽、個性ある魅力ある芽が期待できるのであり、それまでの蓄えが栄養となりバネとなって心奮い立たせるのである。
 さて「伸びる」人と云うのはどんな人なのか…という問いに明快に答えるのは難しいが「素直さ」は最も大切な要素ではないだろうか。「恋」と同じで、相手の心を知らずしてなり立たない。生い立ち、環境、内に秘める魅力を受け止め、そこに情熱が湧かなければ愛には発展しない。「似たもの夫婦」「割れ鍋にとじ蓋」「つり合わぬは不縁の元」のように互いの価値観が違ったり、違ったものを見ていては良さも見抜く事は出来ない。生け手が主人公ではなく相手が「花」。例え見にくいものであっても毛嫌いするのでなく、まずじっくり眺め、どこかいい点はないだろかと対峙する。完成度が低い素材ほど「生け手の手腕が奮い立つ」と思うぐらいの度胸が必要。ちょっとした枝葉の整理や矯めで見えていなかった美しさが出てくるもの。そうなのです、良さが見えるまでじくり眺める事で、その眺め手は、純粋な目を維持する事なのです。色眼鏡で眺めていては決して白は白と見えないのです。
 格好良く振る舞おうと思っている間は花からひじ鉄を食らわされるのが落ち。見つめ合う姿勢こそ恋の成就、素晴らしいいけばなの誕生となるのでは。

                           華道専慶流 西阪慶眞


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