思いやりで本物を(コラム12)

華道専慶流いけばな・西阪慶眞




クリスマスのイメージ

ふくらませる

柊 専慶流
花材/柊、紅蔓、フォックスフェイス、ポインセチア

はな/専慶流・西阪慶眞作
花器/船形現代花器

 

 二千年を間近にした、1999年の末には次のような大きな問題で世間を騒がせた。   
 「Y2K」コンピューター二千年問題がそれで、私達の新しい年の幕開けにどんな現実を突き付けたことだろう。もしかすると、遅刻をしてやっと訪れた世紀末に?。「なる様になる」と何も気にせず過す人もいれば、万が一に備え食料品等を早々と買い集める人もいた。日本を支える?公共機関をはじめ銀行、一般企業は、当日にならないとわからない、と、予測の出来ない事態に向って対策に苦慮している。             
 備えあれば…。私達ひとり一人には 何処までの備えが可能なのだろうか。どれだけの、どんな備えが今必要なのだろう。この問題は目に見えない時限爆弾を抱えているようなものと捉えるのは考え過ぎだろうか。コンピュータ社会のアメリカでは数年前からこの事態に真剣に対処してきたが日本は随分冷静。事があってはじめて慌てるのでは阪神淡路大地震の二の舞?。
 それぞれの生活環境の中で対策をたて、備えるしか無い。それが無駄に終ったとしても、不測の事態に何らかの備えは必要なのでは。
 見方を変えれば二千年問題は「人々の心のあり方」を問い直しているのかもしれません。とりわけ「配慮」「思いやり」があまりにも欠如した結果であろう。前代未聞の放射能漏れ事故、バブル経済のツケ、コンピュータ依存など、どの部分をとっても顕著で、それはおごりの具現化である。地球は人間だけのものではない。「動植物など生きるものすべてが共生する豊かな生活空間」それが地球なのです。
 20世紀末が人間のエゴが支配した時代だとすれば、もうそろそろ眼が覚めないとそれこそ人間の滅びる日が近いのは間違いない。先日、裏庭で白菜を収穫したが甘味がない。勿論家庭菜園の無農薬、有機肥料栽培。それなのに何故甘味がない?。温かい日が続き霜が降りないからだ。そお、美味しさは自然の贈り物なのです。真夏の白菜や真冬のトマト、西瓜など、無理矢理栽培しても美味しいはずがない。それが旬というもの。
 環境への配慮、人への思いやりは人間としての当然の倫理。これを無くして本物は決して生まれない事を「現代の繁栄」は教えているのです。
 希薄になっていく現代社会の人間関係、二千年を迎えるその瞬間に向って、真の意味で互いに手を取り合い、思いやりの絆を深めなければなりません。
 「玄関にいけばなを飾る」この配慮だけでどれだけ周囲の人々の心を和ませられることでしょう。今後も参考にしていただける作品を紹介してまいります。率直なご意見をどしどしお聞かせ願い、いけばな普及に傾倒したいと思っています。



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